@article{oai:atomi.repo.nii.ac.jp:00003342, author = {石田, 信一}, issue = {53}, journal = {跡見学園女子大学文学部紀要, JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LETTERS}, month = {Mar}, note = {application/pdf, text, 1990年代前半のユーゴスラヴィア連邦解体に伴う紛争を通じて助長された諸民族相互の不信感を払拭し、信頼醸成をうながすために、国際社会の支援の下でさまざまな取り組みがなされてきた。その一つが歴史教育を通じた和解の試みであり、本稿では各国政府の対応や専門的な歴史研究の動向も視野に入れつつ、ユーゴスラヴィア後継諸国におけるいくつかの試みについて考察した。  ユーゴスラヴィアでは1980年代からナショナリズムの高まりとともに「歴史の見直し」が進行した。しかし、それはすぐに歴史教育に反映されることはなく、実際には各国が独立してから、各々の国民統合をはかるために歴史教育を再構築しようとした際に、かつてはユーゴスラヴィア諸民族を「我々」とみなす一方、ファシストやブルジョアジーを敵対する「他者」とみなしたような二元論的な区別が紛争当事者の間に適用され、例えばクロアチアではセルビアは否定的な文脈で描かれるようになった。こうした状況は2000年代に少なからずあらためられたものの、各国における自民族中心主義的な歴史観が消え去ったわけではない。  こうした国家主導の歴史教育の諸問題を改善するために、南東欧の民主主義と和解のためのセンター(CDRSEE)や。ユーロクリオなどの諸団体が多面的な見方をはぐくむべく、現場の教員が自由に使用できる歴史教材(史料集、ワークブック)の作成を行ってきた。とくにCDRSEEによる南東欧諸国全体を対象とする共通歴史教材は注目すべき重要な成果の一つである。ただし、常に各国政府の支援が得られるわけではなく、実際に教室で使用されるケースが必ずしも多くはないなど、なお課題が残されている。}, pages = {1--17}, title = {ユーゴスラヴィア紛争と歴史教育から見た和解の試み}, year = {2018} }