@article{oai:atomi.repo.nii.ac.jp:00003344, author = {土屋, 博映}, issue = {53}, journal = {跡見学園女子大学文学部紀要, JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LETTERS}, month = {Mar}, note = {application/pdf, text, 『徒然草』第一二段は、ある意味で非常に重要な段と考えられる。そのポイントとなるのが、「つれづれ慰まめと思へど」という表現の存往である。  その表現が意味するところは、本書序段と関係が深い。序段の「つれづれなるままに」の状況が「慰」められることは、作者の本来の願いであり、本書執筆の一条件であったという前提が考えられるからである。<本段>の重要性は、その期待された「慰」めが、もっとも可能性を持っていた友人に関し、その願いはかなえられないということがわかってしまったというところにある。友人という、もっとも自分を慰めてくれる可能性がある対象が、実はそうでなかったとわかった、つまり現実の世の中には、自分を慰めるものは、まったくないということに気が付いた、そういう一段ということになる。  そして、その「気づき」が、<本段>の表現の質を、具体的ではなく、抽象的なレベルにまで、引き上げたと考えられるのである。通説のごとく、本書が、基本原則として、現在の段の配列にしたがって書き続けられたということであるならば、「随筆」文学としての彼の文章の、最初の、確実な到達点がこの<本段>ということになる。そうであれば、第一二段の価値は、現在のわれわれが考えているよりもはるかに重要だと言うことになる。  随筆文学としての本書の中で、相当に重要であるという可能性のある<本段>の成立は、どのような思考の遍歴、また思考過程に寄って成立したのか、そして、<本段>が、後に続く段にどのような影響力を持つのか、そして、もちろん、<本段>の重要性を再認識すること、それらを考察していくのが本稿の主旨である。}, pages = {33--47}, title = {『徒然草』研究―第一二段を中心として―}, year = {2018} }