@article{oai:atomi.repo.nii.ac.jp:00003346, author = {井上, 優}, issue = {53}, journal = {跡見学園女子大学文学部紀要, JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LETTERS}, month = {Mar}, note = {application/pdf, text, 桐野夏生『OUT』では、弁当工場で深夜の労働をする主婦たちの殺人事件と死体解体と遺棄事件が描かれる。死体は切断され断片化されるが、切断と何かを断片にするということは、それにとどまらず、そのほかにもさまざまな点で機能し、意味を発生させている。また、主要な登場人物たちの多くが債権者/債務者の関係に置かれていることにも特徴がある。この債務にかんする間題は、はたして彼女たちの金銭的な側面でのみ描かれているのだろうか。それとも、それにとどまらない問題を孕んでいるのだろうか。この論では、上記の二点を主軸に検討し、その上で、その二つがさらにからみあうようなところがないかを考察する。  まず、切断と断片化については、夫婦間格差として入り込んでおり、雅子たちの家庭は既にその内部で階級上の切断がなされてしまっていることがあげられる。そのほかにも、弁当工場で、食品産業に携わる者たちの労働内容の断片化、そこで作られた商品に依拠した個食や孤食といった家庭内での食の共有の切断が指摘できる。さらに「社会的服従」により主体化が促される一方で、同時にその主体が構成要素に解体されて断片として機械とつながり続ける「機械状隷属」において、主婦たちは自らが切断と断片化を被る存在であったのだ。  つぎに、登場人物たちは「負債経済」の債権者/債務者関係の中で自らがなす選択や行為の自由を制限され、統御される。そしてそれは実際のお金に関することだけではなく、ニーチェが負債から発生したという負い目に登場人物たちは人間関係の中で縛られている。雅子は佐竹と憎しみ合う中で互いを受け容れあうが、彼を切り裂かなければならなかったのは、そこにも負債関係が入り込み得ることを感じ、脱け出すためだったからではなかったか。これまでの居場所、確定記述から自分を断片化する切断は、こうしたポジティヴな機能も果たす。}, pages = {73--90}, title = {切断と断片化 ―桐野夏生『OUT』論―}, year = {2018} }