@article{oai:atomi.repo.nii.ac.jp:00004249, author = {横田, 恭三}, issue = {58}, journal = {跡見学園女子大学文学部紀要, JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE}, month = {Mar}, note = {application/pdf, text, 2015年9月、河北省邢台市開元寺東側にある邢台博物館の敷地内より、漢代の残碑が発見された。全文で百余字しか残されていない断碑のため碑名が欠けているものの、首行に「封邰」の二字があることにより、〈封邰等字残碑〉と命名された。残された碑面の文字そのものの劣化の程度は軽いため、拓本であっても字口が明瞭で、筆遣いの呼吸が垣間見られるほどである。  この碑は、胡湛・石従枝による論考「刑州新出土《漢封邰残碑》考」(『書法叢刊』20-3)で紹介された。これによれば、後漢・霊帝の中平6年(189)の刻とされる。〈曹全碑〉〈張遷碑〉とほぼ同時代の隷書碑にあたるが、その方正な隷書の書風は〈熹平石経〉〈張遷碑〉に近似しているとみる。本論考では先行論文を参考にしつつも、〈熹平石経〉〈張遷碑〉の比較のみならず、後漢晩期の一つの筆法と考えられる方整な隷書書法が、同時代においてどのように受容されていたのか、また後の魏の隷書書法との関連はあるのか、当該碑を中心に検討した。  その結果、いくつか新たな見解を示すことができた。まず碑面の文字の配列スペースは類例がほとんど見当たらない特殊なものであったこと。二つ目に特異な字形・字体を用いていること。〈張遷碑〉はつとに誤字や不適切な仮借字が用いられていることが知られているが、〈封邰残碑〉も特殊な字形・字体がいくつか使われていた。さらに、左右の払い出しの収筆部に見られる「燕尾」、頭部を突き出す奇抜な造形、一字の中で強調する筆画、呼吸の短い払い出し、あるいは脚部の短縮など、これまで見られなかった造形感覚であることも分かった。  後漢末から魏晋にかけて、隷書がよりパターン化する中で製作されたものの一つが〈封邰残碑〉であったといえよう。}, pages = {107--121}, title = {漢〈封邰等字残碑〉小考}, year = {2023} }