@article{oai:atomi.repo.nii.ac.jp:00000515, author = {横田, 恭三}, issue = {39}, journal = {跡見学園女子大学文学部紀要, JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE}, month = {Mar}, note = {application/pdf, text, 顔真卿(七〇九~七八五)、字は清臣。琅邪臨沂(いまの山東省臨沂県)の人。顔真卿の家系は代々著名な学者を輩出しており、また能書家の家系でもある。彼は「忠義の人」「剛直の人」として評価され、またその書も北末以後、しだいに評価が定まり、現在に至っている。顔真卿の書いた碑誌の数量は、同時代の書家と比べて圧倒的に勝る。現在、楷書碑の原石とされるものは、「多宝塔碑」「東方朔画賛碑」「鮮于氏離堆記」「郭氏家廟碑」「麻姑山仙壇記(大字本)」「元結碑」「宋璟碑」「李玄靖碑」「顔勤礼碑」「顔氏家廟碑」などが挙げられる。『顔真卿志』には、代表的なものを二〇種、その他の碑帖百種以上を載せ、その書の特徴を、前期<五十歳以前>・中期<五〇歳~六五歳>・後期<六五歳~>の三期に分類している。なかで最も早年の碑誌は、四四歳の時に書した「多宝塔碑」であった。が、近年連続して二つの墓誌が出土した。一九九七年、偃師から出土した「郭虚己墓誌」(四二歳の書)、さらに二〇〇三年秋、洛陽龍門鎮から出土した「王琳墓誌」(三三歳の書)がそれである。顔真卿は漢・晋以来の書法を一変したという。どのように一変したのかを明確にするためには、彼の書を年代ごとに精査する必要があろう。本論考では、顔真卿の新出土の碑誌をもとに、前期<五〇歳以前>の書風を検討し、彼の書法を詳細に分析したい。}, pages = {29--45}, title = {顔真卿 早年の楷書碑誌}, year = {2006} }